• 2013年1月25日
  • 4. 発言・エッセイ

トークライブ抄録(2)~弁護士・清水勉氏との対談

五味太郎アネックス事務局・オクダです。
昨年1月27日に開催された、弁護士・清水勉氏との対談(続き)です。


■日本の民主主義について考える

(五味さん)
今日、清水さんにお越しいただいたのは、先日電話で話をしていて、民主主義の話になったんだよね。民主主義って面白い、でもベストではないんだよなぁって。それが結構盛り上がって、じゃあトークライブで続きを話そうってね。

(清水弁護士)
そうそう。そうでしたね。

(五味)
オレは、民主主義って名誉と責任を個人が楽しめる社会だと思うんだよね。ある個人が、自分の名誉と自分の責任を気楽に守れる社会。まさにこれに尽きると思っているんだけど、今の日本人って、自分で眼で見て、自分の言葉でしゃべることに自信が持てないから、一般的で何かカモフラージュされている言語をついしゃべってしまうんではないかと思うんだ。
これは、何が良いとか悪いとかいうことではないんだけれど、たとえば「お前の話を最後まで聞かせてくれよ」とか「最後までオレの話を聞いてくれよ」というシチュエーションになかなかならないような曖昧な社会が今の現状だと思うんだな。
特に日本は社会性ということに比較的敏感な国民性だから、この傾向が強い。今、これを言ったら皆に悪いんじゃないかとか、自分が不利になるんじゃないかとか・・・。国会だってそうだよな。ちょっと失言すると皆にボコボコにされてしまう。こういった状況を見てしまうと、とてもじゃないけど本心を言葉にすることができなくなってしまう。言葉で仕事をしている人間でさえ、なんとなく腰が引けてしまう状況は、こわいというよりつまらない社会になってしまっている。しかも、ある個人が、今本当は何を思って発言しようとしたのか、それを社会が止めてしまう状況がたくさんあるように思う。

(清水)
戦後の日本人はどうも、自分で考え抜くということをしないで、その場の空気を読んで早く同調しようという感覚が強いと思うんですよ。私が所属している日本弁護士連合会の情報問題を扱う委員会では、反対意見や誰も思わなかったような発想の意見も歓迎です。そうすると面白い意見があっちこっちから出て来るようになるんですよ。
でね、今その委員会で、 "世界中でインターネット上のプライバシー保護についてどんな議論をしているのか"ということが話題になるんだけど、日本は現実をしっかり見据えようとしない、場当たり的だという感じがする。たとえばサイバーテロについてだと、米国、カナダ、EUなどではサイバーテロは起こるものとして対策を考える。
それが日本では、起こっていないこと、見えないことは、起こらないことにしてしまう。事前にいろいろ考えて対策を立てれば、かなり防げる被害であっても、「前例」がなければダメ。日本の場合は、はなから考えないでなんとなく皆が同調していくから、何も解決していかないんだよね。

(五味)
日本では、コトが起きて最初にやることは、誰が悪いんだっていう犯人探しでしょ。今回は東京電力だよね。津波も逮捕したいとこだけど、それは無理ってもん・・・。で、そもそも本質的に何が悪かったのか、ということを冷静に深く考えずに「どうもアイツが悪いらしい」という風潮になってしまう。こういった魔女裁判みたいなことは、ずっと繰り返してクセになっているよね。直らないのかしら。
オレ思うんだけど、日本の風土として、この責め方と反省の仕方はずっと変わらないのかなと思う。原爆が落とされて、何十万人もの人間が一瞬に死んでしまったことについて、多くは思考が停止してしまい、この場合は犯人探しをするよりも、「私たちが悪かった」みたいな思考になってしまう。それを象徴するように、慰霊碑には「過ちは繰り返しませんから」と刻んである。いったい誰のどんな過ちなのかという議論もあったようだけど。でもね、オレはむしろこれは思考の問題なんだと思っている。思考の回路が停止してしまったんだよな。
日本が次の一歩に踏み出すためには、津波で2万5千人もの人が亡くなった状況をよく見て、よく聞いて、または発言して、冷静に分析していかないと、本当の意味で何が失われて、まず何を復興していかなければならないのかが分かってこない。今の状況だと思考状態があまりにも曖昧だから、次が見えてこないんだと思う。

(清水)
私のクライアントに津波で家も財産もすべてが津波に流されてしまった人がいます。その人の生存確認ができてから、しばらくの間、ほぼ毎日のようにメールのやりとりをしていました。そこでふっと気づいたのは、以前と比べて自分の言葉を持つようになった、言葉に力がある感じがするようになったということです。津波の被災地で復活した居酒屋に入っていろいろな人と話したときも、同じ感じがしました。
しかし、「絆」や「がんばろう日本」で盛り上がっている被災地以外の人々の言葉にこういう力があるかとなると、かなり疑問です。言葉の力の差が発生しているという気がします。

(五味)
そもそも自分の言葉を持つって当たり前のことだよね。ただ、その自分の言葉にぶち当たってしまうことがあるんだ。一方に公共の言葉があるよね。それは、テレビや新聞が使う"マスコミ語"だということで理解しておけばいいんだけど、その公共の言葉と自分の言葉を多層的なものとして捉えておけばいいのに、いつの間にか双方がごちゃごちゃになってしまって、いつの間にかひとつの意味に収斂していってしまったのではないかと思うんだ。
ひとつの例を出すと、津波が来たときに、ずっと注意を呼びかける放送をしていた女性が流されて亡くなってしまったというのがあったよね。これをマスコミでは美談として取り上げ、教科書にまで掲載されるという。おそらく彼女は本当に頑張ったと思う。そして最後に自分の命を落としてしまったんだよね。
でもね、このことについて、誰も客観的に語れないでしょう。彼女の思いがどういうものだったのか誰にも分からない。にもかかわらず、皆のために尽くして頑張ったんだねという風にまとめるっていうのが、お上の仕事なんだよね。こんな図式を今では民間まで率先してやっているように思うね。
今、日本が弱体化したのは、責任を逃れる形の中で、みんな誰もが小役人っぽくなってしまったことが原因のひとつと思う。何か疑問があって尋ねても「いや、そういうことになっているんですよ」って返ってくるじゃない。翻って、この彼女の一件が美談なのかそうではないのか、教科書というフィールドの上に乗るのは、いい材料ではあると思う。あえて是なのか非なのかを考える議論の材料としての掲載ならば。
しかし、結論がはっきり出ていないファジーなままの状態で掲載したのなら、やや勇気のあることだよね。教科書には検定があって、その枠で言うならば、この件"いい話"なんだよね。指導要綱って全部そう。
昔で言うなら『走れメロス』も同じで、文学論がなぜ面白いかといえば、ある話をどう読むか、いろんな意見が出てくるから面白いんだ。でも、ひとつの試験に出ることを想定して、統一見解としての答えを導き出そうというようなやり方をこの国はやり過ぎて来てしまったのではないかと思う。だからある答えを出さない限り、気が済まなくなっているのかもしれない。だからこそ、実は、児童文学なんてものは、非常に危険性をはらんでいる存在だと言えるんだ。(了)

⇒前回の記事は、こちら


■清水勉氏プロフィール
1953年埼玉県生まれ。弁護士。東京弁護士会所属。
薬害エイズ訴訟や住基ネット問題などを通じて日本の行政と渡り合ってきた。
五味太郎とは『さる・るるる one more』を小さな書店で立ち読みし、
「これこそ人生だ!」と感じたことがきっかけで、出会ったという。
近年は、現場の警察官のための職場改善を目的とする市民活動にのめり込んでおり、
「明るい警察を実現する全国ネットワーク」の代表をつとめている。
警察官やその家族の相談にのりつつ、警察の被害者のために警察相手の訴訟や交渉、
情報公開請求などに積極的に取り組んでいる。
座右の銘 : 実感!


(PR)
■にわとり・ペンギンなど、即納分数台あり!
白ゾウflash.jpg.jpg


■五味太郎デザインを極限まで表現したモビール「STRINGLE」。好評発売中!
stringleフラッシュ_700.jpg

季節の模様替えに。人気の直筆サイン入りクロック。
《人気のクロック・ゾウが3色選べて好評発売中! 限定直筆サイン!》 人気の五味太...
夏の版画特集
アネックス事務局・オクダです。 今年も特集! 夏にピッタリな五味太郎さんの夏の版...
フィード
リンク
GOMI TARO ANNEX

商品の販売について
当ブログ運営
五味太郎アネックス事務局
(オフィス・シード)