- 2010年12月27日
- エトセトラ
五味さんと行く「ゴッホ展+蔦重展」(その2)
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さて、前回に引き続き、ゴッホ展を出た後そのまま赴いた「蔦重展」の報告です。

"蔦重(=蔦谷重三郎)"とは、歌麿や写楽、戯作の山東京伝、狂歌の大田南畝らを育て、世に輩出していった江戸時代の名出版プロデューサーであります。今回、東京ミッドタウン内にあるサントリー美術館で行われた「蔦重展」では、その蔦谷重三郎が手がけた数多くの出版物が展示されていました。
さて五味さん、ゴッホ展からの勢いのまま、どんどん先に進んでいき、ここでも見るペースが速い速い。館内が薄暗く、僕自身、五味さんを見失ってしまったのですが、ふと気づいたのは、自分がゴッホに関する軽い知識(「ひまわり」だのゴーギャンだのテオだの・・・)はあっても、蔦重に関する知識はまったくなかったということ。外国の画家は知ってるつもりでも、当の日本の文化人、絵師については何も知らなかったという皮肉なことに、なんとなく恥じ入ったわけであります。
さて、美術館の出口辺りで、五味さん&その他同行の皆さんと合流。その後、コーヒーを啜りながら、ひと通り見終わったあとの五味さんにコメントを求めました。
―五味さん
昔の人が描くものには、カテゴリーがあったんだな。描くべきテーマというか。たとえば鳥とか花とか、人物でもとりわけ全身の美しい人を描くとか。
でも、先ほど見た歌麿なんかのスゴイところは、従来の美人を全身で描くということを打ち破って、人物をあんなにアップで描いたことなんだよな。当時の美人画は、あんなにアップで描くなんてことは常識的になかったこと。今見てみればなんということもないんだけど、当時の人々はみんなビックリしちゃったんだと思うよ。
絵本でもこの種のことはあって、これは後々になって分かってきたことなんだけど、オレの描くようないい加減な(笑)絵本って、それ以前まではなかったみたいで。つまり、昔は絵本のテーマも自然に決まっていたんだよ。まずは子供が出てきて、続いて動物が出てきて仲良く遊んでいるとか。だいたいお話の筋も落としどころも決まっていて。そして、子供のためになるものでなければならないとか、教育的でなければいけないとか・・・。一定の不文律みたいなものがあったんだよな。
そう、印象派の動きも、ひとつの革新的な動きだったんじゃないかな。
印象派が出てくる以前は、だいたい宗教画または肖像画などの記録のための絵画が主流だよね。宗教画っていうのは、天使が空を飛んでいたりといわば空想の世界の絵。一方、記録のための絵画は、偉い身分の人の肖像や歴史的な事件がおおよその題材で、そんな題材を記録することが当時の画家の仕事だったんだ。絵画はいわば写真の役割だね。
しかし、印象派が出てくる辺りから絵画の歴史は面白くなってくるんだけど、じつは、この時代にダゲレオタイプなんていう実際の写真技法が発明されてくるんだ。そうすると、当時の絵描きたちは相当混乱したみたいだね。もう、絵の仕事はなくなってしまうんじゃないかしらって。それで多くの画家は写真を取り入れていったらしいんだ。そう、まるでマッキントッシュがなければデザインできないんだと大騒ぎした現代のデザイナーたちと同じじゃないかな。
一方印象派は、ある時、ある一派が庶民の暮らしなんかを描いたところから始まったんだと思う。たとえば古くはフェルメールなんかが「牛乳を注いでいる女性なんていいよね」ってな具合で、日常の風景を描く。また、靴屋のおじさんが、「なんだか靴を描いてみよう」と思って筆をとる。そんな見た印象そのままに、絵を描いたのが印象派の始まりだと思う。大事なのは、見た"印象"を描くということ。もちろん、風景なんかを描いて何の意味があるのかって、思った人も多かっただろうね。
ゴッホ自身は、何か絵画の技法の大発明をしたわけではないけれど、ゴッホを含む多くの印象派の画家たちが取り組んだ、"見た風景(印象)を描く"ということは、おそらく当時としては、革新的な出来事だったと思うね。
―(オクダ)
とりあえず、簡単なコメントをもらいましたが、今度機会があれば、この辺の話をもっと深く聞いてみたいと思います。(了)
※一回目の記事はコチラ
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