• 2010年2月21日
  • エトセトラ

五味さん、アリゾナ砂漠を行く

五味太郎アネックス事務局のオクダです。
最近、五味さんはアメリカの出版社の招きで訪米しサンフランシスコに行ったそうです。
で、ついでに足をのばして、4日間ほどアリゾナの砂漠に行ってきたとのこと。
その時の写真を頂きましたので、ここに公開。

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サンフランシスコからフェニックスへ、そしてアリゾナ砂漠に行くんだそうです(もちろん飛行機!)。

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オフシーズンなので、とにかく寒かったらしい...。



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余談ですが、運転したクルマは、ホテルで勧められたBMWの試乗車だそうで...(笑)。

写真は無断転載・使用禁止でお願いします。

で、話は変わって、五味さんとの雑談をご紹介。
題して、「ガルシア・マルケスと絵本のテーマ性」です。

(五味さん)このあいだ、サリンジャーが死んじゃったよな。そう『ライ麦畑でつかまえて』で有名なアメリカの作家。あの一冊で6000万部だぜ。びっくりしちゃうよな。お前、読んだことある?

(オクダ)―ええ、まあ。村上春樹さんが訳すずっと前ですけど。ジョン・レノンを撃った犯人が所持していたことでも有名だったんで。

あの本の内容というか、あの気配はあまり好きじゃないな。なんかタイトル勝ちだなぁって思うところもある。そして、あのタイトルは奇妙だよな。正式には『The Catcher in the Rye』だろ。でも"...つかまえて"というなら『Catch in the Rye』が正しいはずだよな。ライ麦畑にキャッチャーでもいたのかなあ、冗談だけど(笑)。

―あはは。僕は学生時分に読んだんですけど、どうも自分にはよく分からなかったですね。アメリカ文学には不慣れなんで。というか、スミマセン、文学自体あまり読まないんで...。

南米コロンビアのガルシア・マルケス、あれはいいぞ。オレは大好きだね。くどい中華料理を食ってるみたいで。初め食いにくいけど、だんだん分かってくるような...。誰がしゃべっているのか分からなくなる混乱の文体。
オレは『百年の孤独』よりは『族長の秋』という作品が好きなんだけど、大統領と母親がぐちゃぐちゃしゃべっていたりして、そのセリフがどうつながっていくのか予測がつかない感じ。そしてセリフの入り交じり方、混乱ぶりに慣れてくると、かえってその混乱が分かってきて、すごく面白いわけ。まさに混乱というカーニバルに自分も入っていって、それを無責任に楽しむんだな。まさにテーマ性なんてない世界。

―ふーん、いつかトライしてみようとは思っているんですけど...。

それでね、ひるがえってオレたちが頻繁に接するヨーロッパ的というかアングロサクソン的な作品は、きちんと筋立てがあって、よく整理されていて、テーマ主義的な感じがするんだ。しかし、南米の作品にはテーマなんかないな。テーマはそのうち出てくるみたいな。

絵本って、その雰囲気と似ているところあって、面白く描けているなぁと思って、どんどん描いていくと、あとでテーマが出てくるようなところがある。そう、ウンコが面白いって描いてまとめてみたら(※『みんなうんち』)、あとから色々な人が「生き物の平等を描ききった!」とか言ってくれるわけで。でも、本人としては、あまりそういうつもりはないんだけど(笑)。オレの場合、初めからはテーマを決めずに描いているんだよね。テーマは、あくまでも二の次というふうに。

また、絵画をよく見に行くんだけど、絵にもテーマなんかないだろうと思っている。だけど、見たあとで「生きてるってさびしいよなぁ」とか「人生ってザワザワするよなぁ」なんて感想を持つじゃない。そういう感覚って、絵を描いた作家本人と見ている自分との共通感覚だと思うんだよね。テーマなんてその共通感覚くらいだろうな。だから、「この絵が表現しようとしていること」なんて評する前に、モノづくりなんてテーマに固執してないんだと思うんだよね。制作する過程でいろいろいじくっていくと、「もっとこうだな」とか「もっとああしないいけないな」とか試行錯誤があって作品ってできていくんだよね。
どうも評論するというのは、アタマでやっている西洋的な作業であって、ガルシア・マルケスみたいに感情的にワーって書いて、整える暇もなかったような、ドライブのかかった作品を読むと「アタマじゃねえよなぁ」って思っちゃうんだよね。(了)

【参考】
J・D・サリンジャー
ガルシア・マルケス